酒井宗雅略年譜

年齢 事     項
一七五五年 (宝暦五) 1歳 父酒井、母里姫の長男として江戸藩邸に生まれる。幼名 直之助
一七六六年 (明和三) 12歳 名を忠以と改める。
一七七二年 (明和九) 18歳 祖父の逝去により、遺領一五万石を継ぎ姫路城主となる。
一七七四年 (安永三) 20歳 讃岐高松城主松平頼恭の女嘉代姫と結婚。
一七七六年 (安永五) 22歳 正月元日より『玄武日記』を書き始める。
一七七九年 (安永八) 25歳 日光山諸社堂修復のため助役を命じられる。
この時、松江城主松平不昧は同じく修復の主役を命じられた。
一七八一年 (安永十) 27歳   京都に赴き、将軍家治の名代として光格天皇即位式に参賀。
一七八四年 (天明四) 30歳 秋から不昧に師事し、茶道の伝授を受け、「弌得菴」の号を受ける。
一七八五年 (天明五) 31歳 将軍家治より溜詰(江戸溜間に定期的に参上し政務に関与することが
できる名誉職)を命じられる。
一七八六年 (天明六) 32歳 この時期、非常な熱意で不昧から茶道の直伝を受ける。
一七八七年 (天明七) 33歳 正月より『逾好日記』を書き始める。
不昧から「石州流茶道皆伝」が伝授される。
一七八八年 (天明八) 34歳 帰国の途中、東海道、見附の駅で参勤に向かう不昧と出会い、茶事を催す。
一七八九年 (寛政元) 35歳 参勤の途中、東海道、柏原で松平に帰る不昧と出会い、茶事を催す。
一七九〇年 (寛政二) 36歳 七月十七日、江戸大手上屋敷にて逝去。