新年あけましておめでとうございます。今年の正月は小雪もちらつく寒い正月となりました。この2,3日も寒い日が続いていますが、みなさんはどのように新しい年をお迎えになったでしょうか? わたしは久しぶりに自宅で長い時間をすごすことができました。ふだん3歳の次男と1歳の三男は「ママ、ママ」と母親にくっついて回っているのですが、この正月は「パパ、パパ」とよく懐いてくれて、久々に普通の家庭らしいのんびりとしたひとときを送ることができました。
さて、大晦日の夜には、恒例の青年会議所の「新年祈願」で、理事会構成メンバーのみんなといっしょに、総社で一番乗りのお祓いを受けました。また正月4日には姫路市・姫路市議会・商工会議所の主催による「新年交礼会」で、来賓のみなさんとともに壇上で鏡開きをしました。
これまでも大晦日の「新年祈願」には何度か参加しましたが、文字通り「恒例の行事」としか正直思っていませんでした。しかし今年は、これでいよいよおまえは理事長だ、もう逃げも隠れもできない、観念しろと神様から言い渡されたような気分でお祓いを受けました。決意を新たにしたというか、気持ちにはっきり区切りがついたとてもいい機会となりました。
また「新年交礼会」では、何人かのかたの挨拶を耳にする機会がありましたが、いずれも昨年はあまりいい年ではなかった、そして今年も厳しい一年になりそうだという話がおおかたでした。
わたしはじつはそういった話を「へー、そうかなあ」と思いつつ聞いていました。と言うのも、「不況はチャンスだ」と常々思っているからです。
「不況はチャンスだ」というのは、松下幸之助さんの言葉です。わたしは大学を卒業してからPHP研究所という松下幸之助さんがつくられた会社に就職しました。よく本屋で「PHP」という小さな雑誌がおいてあったり、JR京都駅の南側に「PHP」と書いたビルが見えますが、あそこの東京事務所で本の編集を5年間していました。
幸之助さんの書いた本の中で、「雨が降れば傘を差す」これは当たり前のことを必要なときにきちんとやること、また「ダム式経営のすすめ」これはむやみに前借りをせずに着実にものごとを進めること、こういった考えが心に残っていますが、なかでもこの「不況こそチャンス」という言葉は、当時新入社員だったわたしに、逆転の発想とも言うべき驚きとともに強く心に刻まれた言葉でした。
景気のいいときは少々の失敗や判断ミスも帳消しになったり、ついゆるみや油断が出たりして組織にとってじつはあまりいい時期ではない。ほんとうは不況の時こそ一人ひとりの実力が問われ、いままでの仕事のやり方の見直しをすすめ、5年先10年先のための種を必死に蒔き、それが芽吹きます。すなわち「不況の時ほどチャンスの時はない」というわけです。
またこと経営にかぎらず、自分の身の回りの青年会議所をはじめとするまちづくり運動でも、1995年1月17日、いまから7年前の阪神淡路大震災をきっかけに、自発性に富んだ市民の活動がまちのあちこちでいっそうさかんですし、また地球温暖化や資源の枯渇といった地球環境の危機を考えると、人間の経済活動が少しくらい足踏みしたり、少子化で人口が減ることはかえって喜ばしいことなのかもしれません。
要は何を尺度に世の中を見るか、マスコミや評論家が言っていることを鵜呑みにするのではなく、自分自身のものさしで世の中を計る、世間一般で言われていることを咀嚼し直して自分のものとする。そしてそれに基づいて行動する。
教育でよく言われる、「自分の頭で考え、行動する力」とは、子どもたちだけの話ではなく、じつは今のわたしたち大人にこそ必要な力ではないでしょうか。
そしてもうひとつ重要なことは、「ほんとうに大切なものは何か」を見極めることです。
お子さんをお持ちのメンバーの方はよくおわかりだと思いますが、自分の子どものこととなると「お金」や「時間」に関係なく、何とかしてやりたいと一生懸命になることがあります。わたしも、去年の11月の終わりに次男が心臓の手術を受けました。そしてその間、時間を見つけては須磨のこども病院まで足を運びました。「心室中隔欠損」という心臓外科の中では盲腸の手術程度と言われる簡単な手術だったんですが、それでも3才の子どもの胸を切り開いていったん心臓を停め、心室の壁の穴にパッチを当てて、また元通り縫い合わせるのですから、手術が終わって子どもが麻酔から目を覚まし笑顔が出るまでは、ほんとうに心配しました。
でも、そういう差し迫った場合を別にして、いまの世の中には、この「ほんとうに大切なもの」を見失わせる、忘れさせてしまう麻薬のようなものがあちこちにあります。ほんとうに大切な「いのち」や「安全」や「子どもたちの未来」を犠牲にしてまで、つい目先の儲けや効率に走ってしまう「お金」や「時間」というものさしが、私たちの毎日の生活で幅を利かせています。
去年ヒットした宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」というアニメ映画はみなさんよくご存じだと思います。小さなまちに引っ越してきた千尋とその両親が、引っ越しのさなかに神の世界に迷い込みます。10歳の女の子である「千尋」は湯婆婆(ユバーバ)という魔女に名前を奪われて「千」という名前になりながらも、両親たちを助けるために奮闘します。その物語の中に「カオナシ」という白い仮面をかぶった得体の知れない生き物が出てきます。
「カオナシ」は砂金を自由に手から取り出すことができ、油屋の召使いたちは砂金ほしさに「カオナシ」にごちそうを振る舞います。そして「カオナシ」も次から次へと砂金を取り出し飽食の限りを尽くします。
ところが「千」は、「カオナシ」が取り出した金塊に「そんなものはいらない、私のほんとうに欲しいものはあなたには出せやしない」と見向きもしませんでした。そして「カオナシ」が魔法のように取り出した砂金は、最後にはすべてただの土くれに戻ります。
あの「カオナシ」という錬金術と飽食の魔物は、じつはいまのこの国そのものではないか、また目先にとらわれたわたしたちの生き方そのもののようだ、とわたしは感じました。
この地球の空気、水、土、緑、太陽の光、そして人と人どうしの深いつながり。生きること、食べること、働くこと。そんな人間としての基本が、「消費」という際限のない欲求のために、どこかに置き去りにされ、それを置き去りにしてきたことにさえ気づかなくなってしまっているのではないでしょうか?
成熟の時代の青年会議所が果たす使命とは、何でしょうか? それはこの「ほんとうに大切なもの」に人々が気づく仕組みをつくること、「自分のほんとうに大切なものはこれだったんだ」と絶えず思い起こさせる仕掛けをつくること。そして「自分自身のものさし」で世界を計る力を身につけること。これがわたしたちの新しい使命ではないでしょうか?
エコマネー、アワードシステム、地域文化、自転車……。これらは「ほんとうに大切なもの」を絶えず思い出させるための手がかりなのです。そしてわたしたちにとって「ほんとうに大切なもの」に気づき、「自分のものさし」を見つけるために、今年姫路青年会議所に2つの特別委員会と10の委員会、そして2つの会議体を置きました。
2つの特別委員会は、いわば姫路青年会議所という機体の前と後ろとに取り付けられた2つのメインエンジンです。全国会員大会招致特別委員会が先頭を切って機体を引っ張っていくとすれば、研修特別委員会が機体を力強く後押ししていきます。そして2つの会議体は、機体の両翼、2つの翼です。LOM中長期課題検討会議は、組織が今抱える課題について議論し方向性を見いだします。そして会員拡大連絡推進会議では、この「ほんとうに大切なもの」をともに探す仲間を増やす重要な役割を担っています。この両翼には、10個ものすばらしいエンジンが並んでいます。「ほんとうに大切なものはこれなんだ」と青年会議所の内外に向かって呼びかけ、気づかせる10のプロジェクトチームです。
そして今月から新たに加わった28名の新入会員のみなさんとともに、わたしたち181名のメンバーは、一人ひとりが「ほんとうに大切なもの」に気づき、そこから始める「ごきげんなまち姫路」と「ゆかいな姫路JC」づくりに向けていよいよ飛び立ちます。
準備は万端でしょうか? 積み残した人や荷物はありませんか? では、まずは「全国会員大会姫路大会」という名の空港に向けて出発しましょう。
一年間、どうぞよろしくご同行のほどお願いします。ありがとうございました。
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